東京地方裁判所 平成2年(行ウ)212号 判決 1991年9月25日
東京都国立市富士見台2丁目19番地の3
原告
大江一男こと
王栄
東京都千代田区霞が関1丁目1番1号
被告
国
右代表者法務大臣
佐藤恵
右指定代理人
佐藤鉄雄
同
仲田光雄
同
村瀬次郎
同
石坂博文
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求める裁判
一 請求の趣旨
1 被告は原告に対し,金7,530,156円及びこれに対する昭和59年4月1日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨
第二当事者の主張
一 請求の原因
1 原告は,昭和59年3月9日,阿倍野税務署長に対し,昭和58年分所得税について別表記載の内容のとおりの確定申告を行い(以下「本件申告」という。),同月31日その申告した所得税額7,919,800円を納付した。ただし,本件申告のため提出した申告書(以下「本件申告書」という。)は,阿倍野税務署の松下俊文国税調査官(以下「松下係官」という。)が原告に代わってこれに記載したものである。
2 別表の順号2の分離課税の長期譲渡所得(以下「本件譲渡所得」という。)は,原告が10年以上に及んで所有していた大阪市鶴見区今津南2丁目1番11号所在の建物及びその敷地(以下,この建物を「本件建物」といい,これとその敷地とを併せて「本件資産」という。)を昭和58年中に他に譲渡したこと(以下「本件譲渡」という。)によって生じたものである。そして,本件資産は原告が本件譲渡まで居住の用に供していた家屋(ただし,原告が営業用針灸治療室として使用していた19.8m2相当分を除く。)及びその敷地に当たるから,本来であれば租税特別措置法(以下「措置法」という。)35条1項1号の適用を受け,別表の順号2の(三)の特別控除額を30,000,000円として確定申告をすることができ,その場合の申告納税額は389,644円となるはずであった。
ところが松下係官は,本件申告書に記載をした際,措置法35条1項1号の適用を受けようとする旨を記載しなかったため,本件申告は,同号の適用を受けようとはしないものになり,申告納税額が7,919,800円にも及ぶものとなってしまった。
3 したがって,本件申告のうち,申告納税額が389,644円を超える部分については,本件申告書の記載内容に錯誤があって無効であるから,被告は,原告が納付した7,919,800円から389,644円を控除した7,530,156円を不当利得したものである。
仮に,被告が右金員を不当利得したものでないとしても,本件譲渡は,本来,措置法35条1項1号の適用を受け得るものであり,原告の昭和58年分所得税の申告納税額は389,644円で足りるはずであったのに,原告は,誤って,7,919,800円を納付してしまったから,被告は国税通則法56条1項により,その差額である7,530,156円を過誤納金として原告に還付すべきである。
4 よって,原告は被告に対し,不当利得金として,又は過誤納金として,7,530,156円及びこれに対する納付の日の翌日である昭和59年4月1日から支払済みまで年5分の割合による利息金(又は遅延損害金)の支払を求める。
二 請求の原因に対する認否及び被告の主張
1 請求の原因1のうち,原告が昭和59年3月9日阿倍野税務署長に対し本件申告をしたこと,同月31日その申告納税額7,919,800円を納付したこと,本件申告書の記載(ただし数額の部分のみ)を阿倍野税務署の松下係官が行ったことは認め,その余の事実は否認する。
2 同2のうち,本件譲渡所得が本件譲渡によって生じたものであること,本件申告が,措置法35条1項1号の適用を受けようとはしないものであり,申告納税額が7,919,800円であることは認め,その余の事実は否認し,主張は争う。
3 同3の事実は否認し,主張は争う。
4 被告の主張
原告は,本件譲渡に係る譲渡所得の計算その他確定申告書の作成に必要な書類を持って昭和59年3月8日と9日に阿倍野税務署を訪れ,松下係官と納税相談を行った結果,措置法35条1項1号の適用がないものとして本件譲渡に係る譲渡所得の計算を行うこととし,これに基づいて本件申告書を作成提出したものである。
なお,本件申告書の数額部分は松下係官の代筆したものであるが(納税相談の際に,税務署の職員が納税者に代わって確定申告書の数額を代筆することは,納税相談を能率的に行うため,通常行われていることである。),本件申告書に署名,押印をしたのは原告自身であり,本件,申告書は,原告の意思に基づいて提出されたものものであって,松下係官が,原告の意思に反してその提出をさせた事実はない。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから,これを引用する。
理由
一 原告が昭和59年3月9日阿倍野署長に対し本件申告をしたこと及び同月31日その申告納税額7,919,800円を納付したことは,当事者間に争いがない。
二1 原告は,本件申告のうち,申告納税額が389,644円を超える部分については,申告書の記載内容に錯誤があって無効であるから,被告は原告の納付額7,919,800円から389,644円を控除した7,530,156円を不当利得したものである旨主張する。
しかしながら,所得税の確定申告書の記載内容についての錯誤の主張は,その錯誤が客観的に明白かつ重大であって,法定の過誤是正方法,すなわち,確定申告書に記載した税額に不足額がある場合等についての修正申告書の提出(国税通則法19条1項),又は確定申告書の提出により納付すべき税額が過大である場合等についての更正の請求(同法23条)による以外の方法による是正を許さないとすれば納税者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合でなければ,許されないものと解すべきである。
そこで,以下,本件につき,右特段の事情の有無について検討する。
2 請求の原因1のうち,本件申告書の数額の部分の記載を阿倍野税務署の松下係官が行ったこと,同2のうち,本件譲渡所得が本件譲渡によって生じたものであること及び本件申告が措置法35条1項1号の適用を受けようとはしないものであることは当事者間に争いがなく,右事実に,成立に争いのない甲第25,第28号証,乙第1号証の1,2,第3,第4号証,原本の存在及びその成立に争いのない乙第2号証,証人松下俊文の証言並びに原告本人尋問の結果(後記措信しない部分を除く。)を総合すると,(一)原告は,中国(台湾)籍を有する外国人で,鍼灸師をしており,昭和56年9月当時,大阪市阿倍野区相生通2丁目14番3号所在の建物を借り受けて右所在地を外国人登録上の居住地としていたが,実際は,大阪府高槻市東五百住町所在の建物を借り受けて内縁の妻である古川瀧子らとともに居住していたこと,(二)原告は,昭和40年代に本件資産を取得し,本件建物を倉庫として用いていたところ,昭和56年頃本件建物を改修して住居兼針灸治療室としたが,昭和58年夏頃本件資産を他に譲渡する本件譲渡を行い,本件譲渡所得を得たこと,(三)原告は,本件譲渡前の昭和57年1月31日に外国人登録上の居住地を本件建物の所在地に移転させたが,その後も高槻市五百住町及び大阪市阿倍野区相生通の各建物とも借り受けたままとしており,昭和58年5月18日に外国人登録上の居住地を大阪市阿倍野区相生通2丁目14番3号に戻したこと,(四)本件建物の水道料金は,昭和56年9月から同年12月までは古川瀧子名義で,昭和57年1月から昭和58年2月までは原告名義で支払われていたところ,右期間中の水道使用水量(2か月分当たり使用量)は,昭和56年11月・12月分が20m3であった外は,0ないし3m3に過ぎず,特に同年9月・10月分,昭和57年1月・2月分,同年3月・4月分,同年7月・8月分はいずれも0m3であったこと,(五)原告は昭和58年分の所得税の確定申告に当たって阿倍野税務署に納税相談に訪れ,応対した松下係官に対し,持参した本件譲渡の関係資料並びに外国人登録上の居住地の移転経過が記載された登録事項証明書や水道,電気,電話の各使用料金証明書等を示して,本件建物が居住用家屋であり,本件譲渡につき措置法35条1項1号の適用を受けたいとの申出をしたこと,(六)しかし,松下係官は,原告の持参した資料を検討した結果,外国人登録上の居住地を本件資産の所在地に移転させる前に,原告が本件譲渡の譲受人に譲渡の申込みを行っていること,右(三)のとおり,原告が外国人登録上の居住地を本件建物の所在地に移転させた後も,大阪市阿倍野区相生通の建物を借り受けたままとしており,昭和58年5月18日に外国人登録上の居住地を右建物の所在地に戻したこと,右(四)のとおり,原告が本件建物で使用した水道の使用水量が僅少である外,電気,電話の使用量も同様に少ないことから,原告は本件建物に一時的に居住したに過ぎないものと判断し,その旨を原告に告げて,本件譲渡には措置法35条1項1号の適用を受けることができないことを説明したところ,原告は,同号の適用を受けようとしないで確定申告書を提出することに同意したので,松下係官がそれを前提として数額処分を記載し,原告が署名,押印した本件申告書が作成され,阿倍野税務署長に提出されたこと,以上の事実を認めることができ,原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は措信し難い。
3 右2の事実関係に照らせば,原告は本件申告書の提出に当たって,阿倍野税務署の松下係官に,措置法35条1項1号の適用の可否を含めた納税相談を行い,同号の適用を受けることはできないとの松下係官の判断を受入れて本件申告に及んだものであり,かつ,松下係官の右判断は合理性を有するものと認めることができる。したがって,本件申告書の記載内容に客観的に明白かつ重大な錯誤があって,法定の過誤是正方法による以外の方法による是正を許さないとすれば納税者の利益を著しく害すると認められる事情があるものとは到底認めることができない。
そうすると,本件申告書の記載内容に錯誤があることにより,本件申告が無効であることを前提として,被告が原告の納付額7,919,800円から389,644円を控除した7,530,156円を不当利得したものであるとする原告の主張は失当である。
三 また,原告は,本件譲渡は,措置法35条1項1号の適用を受け得るものであり,原告の昭和58年分所得税の申告納税額は389,644円で足りるはずであったのに,原告は,誤って,7,919,800円を阿倍野税務署長に納付してしまったのであるから,被告は,国税通則法56条1項により,その差額である7,530,156円を過誤納金として原告に還付すべきものである旨主張する。
しかし,右一のとおり,原告は,申告納税額を7,919,800円とする本件申告書を阿倍野税務署長に提出しているのであるから,申告書の記載内容についての法定の過誤是正方法により右の申告納税額が是正され,あるいは,本件申告書の記載内容に客観的に明白かつ重大な錯誤があって本件申告が無効となるような場合の外は,本件申告に基づきその申告納税額に相当する金額として納付した金員が国税に係る過誤納金に当たることはないものというべきところ,法定の過誤の是正方法により本件申告書の申告納税額が是正された旨の主張立証はなく,また,本件申告書の記載内容に客観的に明白かつ重大な錯誤があって本件申告が無効であるとの主張は,右二のとおり失当であるから,国税通則法56条1項により,右申告納税額の一部である7,530,156円を過誤納金として原告に還付すべきものである旨の主張も失当である。
四 よって,原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法89条を適用して,主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中込秀樹 裁判官 石原直樹 裁判官 長屋文裕)
<以下省略>